雪ノ下一丁目

大河ドラマ「北条時宗」レビュー/ストップ!実時くん連載中

#38 攻めか守りか

時宗は七日後の寄合で今後の蒙古対策を出すよう寄合衆に申し渡す。実時は鎌倉に戻り、時輔と時宗を再び会わせることに尽力すると言う。恩赦を受けた桔梗は足利家へ戻り、泰氏の隠し子を探し始める。時輔は博多を復興させるために蒙古と貿易をして交流を持て…

#37 謎の撤兵

蒙古は撤退したが勝ち戦と言えるのかと戦った武士たちは誰もが怪しんでいた。宗政は日本側が劣勢でなぜ蒙古が撤退したか分からないと時宗に告白する。それでも恩賞を求める御家人らが鎌倉に押し寄せる。実時は時輔を探し当て、異国で得た広い視野で時宗を導…

#36 蒙古襲来3 博多炎上

時輔は蒙古に松浦を攻め博多攻略の拠点にせよと進言したのは自分だと泣いて詫びるが房は時輔を斬らずに松浦を去る。悪党と化した服部に戦をやめ執権を降りよと迫られた時宗は、戦を始めた責任は他の者に背負わせないと言う。今津の浜で迎え討つ日本軍は従来…

#35 蒙古襲来2 奮戦!水軍城

対馬、壱岐陥落を聞き駆けつけた九州御家人や宗政らが博多に集結。各所にそれぞれ布陣する。時宗は、博多が破れる時は鎌倉武士の世が破れる時、なんとしても守れと鼓舞。義宗は逃した時輔が蒙古と共に復讐に来るのではと時宗に詫びる。亀山天皇は異国調伏の…

#34蒙古襲来1 九百隻の大船団

蒙古の大船団が対馬を一晩で陥したという知らせを受けた時宗は宗政を博多へ下向させるが、万が一博多が落ちた時は民を守るために自分の首を蒙古軍に引き渡すよう泰盛に告げる。時宗が死ねば鎌倉、ひいてはこの国は守れないと反対する泰盛に、たとえ鎌倉が滅…

#33蒙古襲来前夜

蒙古は巨大な蒙古高麗連合軍を編成。時輔は内通者としてその中にいたが、戦を長引かせ犠牲者を増やさぬための苦渋の決断だった。博多に下向した頼綱は不機嫌を隠さず少弐らを鼻白ませる。文永11年10月5日ついに蒙古の大船団が対馬に現れる 前半の総集編ぽい

#32 いざ博多へ!

鎌倉に下向してきた菊池武房と竹崎季長の要請を受け、時宗は徳政の下知を出す。また恩赦を出した日蓮に異国降伏の祈祷を依頼するが拒絶される。さらに祥子を斬り日蓮を暴行しようとした汚名を注げと頼綱に九州に下向を命じる。時宗に捨てられたと荒れる頼綱…

#31 出撃命令

蒙古は襄陽、三別抄を陥落させいよいよ日本に迫る。鎮西奉行の少弐景季らの元には蒙古への不安を訴える九州御家人が殺到していた。鎌倉では政村の死を受けて、長時の弟の義政を連署、時広を引付頭人に起用。義政に兄の死の真相を糺された時宗は、自分の暗殺…

#30 長老死す

時宗は時輔の真意も察せず討ったことを激しく後悔する。政村はそんな時宗を見限り、娘婿の宗政を執権に据えようとして泰盛と実時に咎められ、また仮病を装う。見舞いに来た3人の娘に、傍流の政村流が隆盛を築いたのは有力者と縁組を重ねたおかげだと語る政村…

#29 さらば兄上

北方の軍勢を相手に時輔は奮戦するが、とうとう義宗に追い詰められ邸に火がかけられる。趙良弼は、時輔が討たれ返書が絶望的となったことに怒り帰国。義宗は時輔の遺髪を時宗に献上する。時宗は京の宗尊らを出家させ、祥子と時輔の子は下野に戻すと即座に採…

#28 あの兄を討て!

時章は、得宗家を倒すことが目的では民は従わず国をまとめ異国に対峙できないとして戦を回避しようとするが時遅く、教時は名越の邸に攻め込んできた宗政、顕時に応戦して討死。持仏堂に籠った時章は、名越は謀叛に滅びるにあらずと言い置き頼綱の目の前で自…

#27ご謀叛許さず

昨年暮れ誕生した時宗の嫡男は幸寿丸と名付けられ、頼綱が乳母夫となる。北方に赴任した義宗は、宗尊と足利、名越の怪しい動きを鎌倉へ知らせるが、その間時輔は京におらず博多で朝廷の使者として趙良弼に密会。日本に派兵しないなら弟の執権を説得し、天皇…

#25最後通告

祝子が時宗の第一子を懐妊。頼綱は、同じ頃身籠った禎子を時宗の子の乳母にしようと企む。祥子もまた子を授かり、時輔は生まれた子が大きくなった頃には日本は国を開いて大陸と交流しているだろうと祥子に夢を語る。文永八年、蒙古の使者の宋人趙良弼は、三…

#24高麗からの文

文永6年9月、人質返還と蒙古の二度目の国書が高麗から来たが内容は前と同じで、蒙古は日本を対等に扱う気がないと判断したが戦は避けたい時宗に、泰盛は戦も辞さない覚悟も必要と諭す。桐子の話で何かに目覚めた時輔は、蒙古に返書すべしと朝廷に言上。時茂…

#23人質

対馬で島民が蒙古の使節に連れ去られる。それが佐志房の息子でクビライを親の仇と恨む勇だと知り、桐子は時宗に知らせるべく鎌倉へ向かう。朝廷は幕府の方針に反して蒙古に返書しようとし北方の時茂はそれを危惧するが、時輔は何故幕府を守らねばならぬのか…

#22京の闇

日本からの返書がなく苛立つクビライは、千艘の船を作るよう高麗に命じる。時宗の再びの国書を求めるという方針に、名越兄弟らの不満が高まっていた。基平は朝議で蒙古へ返書が決定すればやがて国は蹂躙されると恐れ、時輔もそれでは位や生まれに縛られぬ新…

#21初陣

執権時宗は評定始で、蒙古に対等な国書を求めるという第三の道を提示。時輔には任官を辞退するよう泰盛を京に遣わす。時輔は基平に蒙古への対応で時宗に不満が集まる隙をつけと助言するが、泰盛に時宗の命令だとして式部氶任官を辞退せよと迫られ辞退を余儀…

#20十八歳の執権

時輔が持ち帰った国書を見て危機感を募らせた基平は、この非常時に古い秩序は無用と時輔を朝廷の評議に召し意見を述べさせようとするが、無位無冠では相手にもされず、基平の返書せずとの主張も通らない。時宗が執権となった後の鎌倉を操り基平と共に天下を…

#19戦か属国か

蒙古との国力の違いを地図で示し戰をすべきでないと進言する謝国明だったが、評定衆は「兵を用いる」という語に反発して戦も辞さない空気になる。時宗は戦でも属国でもない第三の道の模索を主張。政村が病と称しその場に倒れ評定はお流れとなるが、実時と泰…

#18国書きたる

少弐景季により鎌倉に届けられた国書を読み上げる幕府首脳。議論芬々するが、兵を用いたくないという言葉で蒙古は日本を属国にするつもりであると判断。時宗は対応を図るべく評定を開く。早くも戦に臨む覚悟の泰盛、ギリギリまで書物に向かう実時、国書など…

#17クビライの影

鎌倉では宗尊の子惟康王が将軍となり、京に送還された宗尊は鎌倉へ戻れるよう時輔に助力を命じるがすげなく突き放される。時茂は時輔を警戒し始める。蒙古の国書を携え高麗の使者潘阜が博多に上陸。鎮西奉行の少弐氏は幕府の指示を仰ぎ、政村は朝廷には知ら…

#16将軍すげかえ

文永三年、御息所は姫を出産するも産所の宗政邸の不手際で病になったと時宗は名越時章らに因縁をつけられる。これは得宗家転覆を図る桔梗の策略だと足利泰氏に知らされた時輔は時宗にそれを伝え、執権政村は逆に宗尊将軍更迭と名越の勢力を削ぐため引付の廃…

#15母上ご乱心

六波羅南方に赴任した時輔は、北方の時茂に格下に扱われるも意に介しない。鎌倉では空気を読まず時頼殺害犯をあくまでも追及しようとする涼子は乱心を疑われ時宗の邸を出る。泰盛に仕官を断られた長時暗殺者の八郎は、謝太郎を介し時宗に会った瞬間恋に落ち…

#14 兄の追放

時宗の決断を聞いた政村は、時輔をいっそあの世に追放するよう忠告したが、実時は閑職の六波羅探題南方への赴任を提案する。一方の時輔は、反時宗の宗尊に近侍し足利とつるむようになる。政村が宗尊に時宗の執権就任と時輔の南方赴任を申請すると、宗尊は兄…

#13 大いなる岐路

長時の死で時宗が時輔のもとに駆けつけたことで、時輔は父の遺言が自分の殺害であることを悟り絶望。政村は、未熟でも時宗が執権になるしかないと迫るが、時宗は人を殺めた結果の執権職を拒む。さらに足利頼氏が執事の高師氏に野心のないのを見限られて毒殺…

#12暗殺

時頼の死に勢いづいた宗尊親王に、桔梗は兄弟の名越流北条時章、教時を引き合わせる。宗尊は長時に、時宗の暗殺を示唆。時宗は、時頼の遺言のうち時輔のことは隠し長時暗殺だけを泰盛らに知らせる。泰盛は苦渋の思いで妻の兄である長時の殺害を暗殺者を使っ…

#11時頼絶命

時頼は何者かに毒を盛られた。それを知った涼子に、時頼は初めて涼子の父を戦で殺したことを詫び、ようやく夫婦は和解する。 時頼は、時宗だけに遺言を残す。 鎌倉を滅ぼす「長時を殺せ」「時輔を殺せ」 恐ろしい遺言に震える時宗。 弘長三年11月22日、時頼…

#10ひとり立ち

決闘に勝った時輔は鎌倉を去ろうとするも、長時に宗尊上洛の筆頭供奉人に推挙される。時頼の命で時宗はその計画を阻止する。政村は実時や時宗の同母弟宗政に自分の娘との縁談を持ちかけ、時頼もまたそれを急ぐ。ある日時頼は三人の息子の前で父はもうすぐ死…

#09決闘由比ヶ浜

母の死に自責の念に駆られた時輔は時宗に決闘を申し込む。宗尊は桔梗を母代わりとさせて時輔を引き込み時宗を廃そうと画策。眼代で終わりたくない長時はその謀略への加担を死の床の重時に伝える。日陰で生き光を切望する時輔や讃岐の無念を思い、時宗は決闘…

#08逃げた花嫁

時宗と婚儀をあげた祝子は、喧嘩で安達邸に帰る。時頼は時宗を呼びつけ小笠懸を披露させ、先に笠懸を行った時輔に屈辱を与える。讃岐は怒り必ず家督を継がせると時輔に言うも断られ、茫然自失のまま火事を起こし、逃げ遅れた祝子を時輔と錯覚して助けた後命…