雪ノ下一丁目

大河ドラマ「北条時宗」レビュー/ストップ!実時くん連載中

おじっさと私 (追悼 改題)

鳥山明が亡くなってしまった。最近はぜんぜん追っかけてなかったし、デジタルに移行してからの絵があまり好きではなかったので追悼記事的なものを書くのはおこがましい気がするんだけど、Dr.スランプ(アラレちゃん)が自分の原点だったからやっぱりショックを受けている。心の中ではおじっさ※と呼んでたし、大きくなってからは疎遠になってしまったけど、子供の頃大好きだった親戚のおじさんが亡くなったような喪失感だ。

ドラゴンボールは特に好きではなかったけど、アラレちゃんとドラクエは自分の中で掛け替えのない作品だった。鳥山明の何がすごいって、構図の分かりやすさとテンポの良さと、一枚絵でも、好きでよく描いてたメカを筆頭にディテールが詰め込まれててずっとワクワクしながら眺められる画力が本当に凄まじかった。

鳥山明の絵柄をそっくりそのまま描く漫画家の人はいるけどやっぱりこの部分が明らかに違う。改めてセンスの塊のような不世出の漫画家だったと思う。

ご冥福をお祈りします。

 

追記 あとで読み返してナチュラルに呼び捨てしていることに気づいた…でも鳥山明先生と呼ぶのは自分の中で他人行儀な気がしてかえって追悼の意を表せないと思ったので、あえてそのままにします

 

ドラゴンボールの単行本は知らないが、Dr.スランプの単行本ではおまけコーナーで読者からこう呼ばれていた

おじっさって呼んでる人、今でもいるんかな…?と思って検索したらこんな記事が出てきた。

realsound.jp

意訳すると、日本が誇る世界的漫画家の鳥山明大先生を、今は50代前後のいい大人になってるであろう当時の読者はおじっさと読んで馬鹿にしていた、若気の至りとはいえ恥を知れ、という内容(意訳に悪意あるので、鵜呑みにしないで原文を読んでご判断ください)なんかこれ書いた人、少なくともリアルタイムで読んでないよな、と思う。原作者へのリスペクト云々っていう今風の価値観で断罪しててやな感じ。当時の読者が親しみを込めて鳥山明をおじっさと呼んでたのも読み取れないんだろうか