光時の着物左前になってるコマがある…
時房チルドレン覚え書き
長男・時盛…六波羅探題南方。釣ってはいけない池で魚釣りする男。六波羅探題で尋問を受けた尊長に「時氏は知らんけど時盛は知ってる」と言われる。父時房の死で鎌倉に戻るも、泰時に早く京に帰れと追い返される。たぶんその間に弟の朝直に嫡流奪われる。鎌倉に戻ったら戻ったで、なぜか邸宅を将軍送還の宿所にさせられる。孫・時国の南方就任に佐介流復活を期し、老骨に鞭打って一緒に上京。そこで大往生を遂げる(その後時国は南方辞任後に誅殺される)
次男・時村…資時と一緒に謎出家。大河時宗でお馴染み、癒し系爺・時広の父。※名乗りが相模次郎のため次男に修正
三男・資時…謎出家。歌人で歌会によく駆り出される。評定衆。三番引付頭人。
四男・朝直…時房系嫡流大仏流祖。嫁の伊賀氏と別れたくないとゴネるも、数年後には泰時の娘との間に子供を作る。評定衆、引付頭人になるも寄合には呼ばれず。
五男・時直…供奉人行列でよく同母兄の朝直と一緒に名前が並ぶ。金沢流の時直と混同されて、九州で討幕軍と戦ったお爺ちゃんという誤ったイメージが付されがち。
六男・時定…頼経を京に送還。頼経と三浦光村の涙の別れを時頼にチクる。時頼の弟・時定と名前が同じな上にほぼ同時代なのでややこしい。
時房の子供達だけあって皆それなりにキャラが立っているが、中でも時盛のキャラの濃さが際立つ。
他にもエピソード見つけたら随時追加していきます。
おじっさと私 (追悼 改題)
鳥山明が亡くなってしまった。最近はぜんぜん追っかけてなかったし、デジタルに移行してからの絵があまり好きではなかったので追悼記事的なものを書くのはおこがましい気がするんだけど、Dr.スランプ(アラレちゃん)が自分の原点だったからやっぱりショックを受けている。心の中ではおじっさ※と呼んでたし、大きくなってからは疎遠になってしまったけど、子供の頃大好きだった親戚のおじさんが亡くなったような喪失感だ。
ドラゴンボールは特に好きではなかったけど、アラレちゃんとドラクエは自分の中で掛け替えのない作品だった。鳥山明の何がすごいって、構図の分かりやすさとテンポの良さと、一枚絵でも、好きでよく描いてたメカを筆頭にディテールが詰め込まれててずっとワクワクしながら眺められる画力が本当に凄まじかった。
鳥山明の絵柄をそっくりそのまま描く漫画家の人はいるけどやっぱりこの部分が明らかに違う。改めてセンスの塊のような不世出の漫画家だったと思う。
ご冥福をお祈りします。
追記 あとで読み返してナチュラルに呼び捨てしていることに気づいた…でも鳥山明先生と呼ぶのは自分の中で他人行儀な気がしてかえって追悼の意を表せないと思ったので、あえてそのままにします
※ドラゴンボールの単行本は知らないが、Dr.スランプの単行本ではおまけコーナーで読者からこう呼ばれていた
おじっさって呼んでる人、今でもいるんかな…?と思って検索したらこんな記事が出てきた。
意訳すると、日本が誇る世界的漫画家の鳥山明大先生を、今は50代前後のいい大人になってるであろう当時の読者はおじっさと読んで馬鹿にしていた、若気の至りとはいえ恥を知れ、という内容(意訳に悪意あるので、鵜呑みにしないで原文を読んでご判断ください)なんかこれ書いた人、少なくともリアルタイムで読んでないよな、と思う。原作者へのリスペクト云々っていう今風の価値観で断罪しててやな感じ。当時の読者が親しみを込めて鳥山明をおじっさと呼んでたのも読み取れないんだろうか
ドラクエ2の思い出
ドラマ「不適切にもほどがある!」の舞台設定が昭和61年(1986年)。時代考証が多少気になるけど(写るんですはこの年に発売だけど女子高生が気軽に持つほどにはまだ普及してなかった気がするとか、純子の積み木くずしっぽいスケバンの格好は80年代前半だったとかね)当時が思い出されて泣いたり笑ったりしながら見ている。昭和が全ていいわけでは全然ないけど(根暗(当時は陰キャをこう呼んだ)オタクは人権なかったし)、今はなんか窮屈な世の中になっちゃったよね。
そんで昭和61年(1986年)といえば、なんと言ってもドラクエ2発売ですよ※。自分的には初めてプレイしたドラクエかつ最も好きなドラクエ。音楽も一番いいと思うんだ。
↑やっぱりファミコン音源が最高。おっさんたちの郷愁感あふれるコメントも大好き
発売日に、学校終わった後バスに乗ってユニーのおもちゃ屋まで買いに行った思い出。当時好きだったマンガの主人公の名前をローレシアの王子の名前にしたなあ(ぬけさく、アーサー、サマンサでしたw)。もちろんふっかつのじゅもんノートも作った。さらには、ノートにプレイ日記ならぬプレイ漫画を描いてた。読者は弟だけだったけど。そうそう、好きすぎて小説ドラクエ2も買ってもらってた。いのまたむつみ挿絵の。でも、ムーンブルグの王女をめぐってローレシア王子とサマルトリア王子が争う(ローレとムーンが両思いでサマルは噛ませ犬的な)三角関係になっててすげえ嫌だった。子供だったので、おバカ3人組みたいなノリで漫画を描いてたから余計…。人生初めての解釈違いってやつだったな。
今思うと、ストーリー的にもほかのナンバリングほど深みもなくて大したことはないのよね。でも体力馬鹿で正義漢のローレシア、器用貧乏でのんびり屋のサマルトリア、冷静沈着なツッコミ役のムーンブルグの三人の珍道中が好きでたまらなかった。
エンディングの、サマル「はやくいきなよ」ムーン「なーにてれるなんて。あなたらしくないわよ」(ファミコン版では)初めてしゃべった仲間二人、そして流れる「この道わが旅」。これを聴きながら、ドラクエ屈指の難易度のロンダルキアの洞窟、国境よりもはるかに長いトンネルをようやく抜けたらそこは一面の雪景色のロンダルキア台地。あっ、ほこらだ、やっと回復できる…と思ったら立ち塞がる白い悪魔猿パズズなどの思い出が走馬灯のように駆け巡る。泣ける。
次のドラクエ3を最高傑作認定する人も多いと思うけど、キャラ立ちの観点からいうと自分的にはイマイチであんまり好きではなかったな。だって主人公以外オリキャラじゃん。ノートに漫画も描いたけど、戦士=ローレ、僧侶=サマル、魔法使い=ムーンとキャラをスライドさせて描いてたよ。
※確認したら、ドラクエ2は昭和62年1月だった。ドラクエ1が昭和61年5月発売。5月が誕生日でちょうど買ってもらえたというのに、ドラクエ1でなくクソゲーと名高いスパイvsスパイを買っちゃった苦い思い出
吉野家コピペ〜クルミっ子編
昨日、鎌倉の紅谷行ったんです。クルミっ子の。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで入れないんです。
で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、小町店オープン、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、新店舗オープン如きで普段来てない鎌倉に来てんじゃねーよ、ボケが。
紅谷だよ、紅谷。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人でクルミっ子か。おめでてーな。
よーしパパ16個入り頼んじゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、鳩サブレやるからその列空けろと。
紅谷ってのはな、もっと閑散としてるべきなんだよ。
陳列棚の中の店員のおばちゃんといつ喧嘩が始まってもおかしくない、刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと入れたかと思ったら、隣の奴が、リスくん缶入りで、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、リスくんなんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、リスくん、だ。
お前は本当にクルミっ子を食いたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、リスくんっていいたいだけちゃうんかと。
クルミっ子通の俺から言わせてもらえば今、クルミっ子通の間での最新流行はやっぱり、頼朝パケ、これだね。
頼朝付き鎌倉案内包装紙。これが通の頼み方。
頼朝パケってのはいかにもザ観光地って感じの包み紙。そん代わりダサくて誰も買わない。これ。
で、それに自分用おやつでクルミっ子切り落とし。これ最強。
しかしこれを頼むと次から店員にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、いちょうサブレでも食ってなさいってこった。