雪ノ下一丁目

大河ドラマ「北条時宗」レビュー/ストップ!実時くん連載中

【総評】大河ドラマ「北条時宗」

※長文です。書いた人の鎌倉幕府観が古いかもしれませんが見逃してください。後半ぼくのかんがえたさいきょうのときすけの話になってます。

北条時宗」のテーマ

大河ドラマ北条時宗」は、「蒙古襲来と兄弟の対立がテーマ」だと脚本家はインタビューで答えている(「NHK大河ドラマストーリー北条時宗前編」より)。確かにこのテーマはブレずに最後までその通り進んでいった。鎌倉を統べることを生まれた時からに宿命づけられた北条得宗家の嫡男・時宗と、その兄でありながら側室腹のため生まれながら日陰の存在であることを強いられた時輔。鎌倉と得宗家の安泰と永続のため父・時頼は時宗を引き立て時輔を虐げ、反体制勢力は時輔を利用して得宗家転覆を狙う。周囲の思惑に翻弄され、仲の良い兄弟は引き裂かれていく。そこへ忍び寄る蒙古の影。その生い立ちから身分も生まれも関係ない世の中を希求する時輔は、桐子に蒙古という国の壮大さを教えられたことで視野を広げ、狭い鎌倉の地で古い体制を守り続ける弟の時宗に「国を開く」ことを教える。時宗は「国を開く」ことはすなわち蒙古の属国に甘んじることであると反発。兄を殺し、国の誇りを守るべく心ならずも蒙古との戦に突入するが、この頃から時輔の考えに共鳴し始め蒙古に負けて鎌倉や北条が滅びても民を守らねばならないと考えるようになる。そして殺したはずの兄との邂逅。自分が時宗への恨みを捨てたように蒙古への恨みは捨てて和睦し国を開け、と時輔は兄弟の情に訴えて説得するが、一方的に攻め込まれた挙句降伏するということは戦で死んだ者が無駄死になるということである、先の戦への償いがなければ徹底抗戦するとあくまで一国の指導者として和睦を拒む。そして二度目の蒙古との戦い。時宗はこの戦に勝ったら古い政は捨て、小国と侮られることのない「新しき国」を作ろう。それは蒙古のような、生まれも身分も異なる者たちが皆で政に当たる、幕府も北条も御家人もない世の中である。まさにそれは、時輔と時宗の二人の兄弟が愛憎の果てに生み出した絆の結晶であったーーー

 

うん。

宝治合戦に端を発する父母の因縁から生まれながらにして対立を宿命づけられた兄弟が、蒙古襲来により真っ向からぶつかり合い、最後は融和するという筋書きは非常によく出来ていたと思う。

でも…この筋書きに合わせるために、ここまで鎌倉幕府という組織を貶める必要があったのか。もう幕府など無くなってもいいと主役に言わしめるまでにひどく矮小化されてしまって、鎌倉ヲタとしてはとてもとても残念な気持ちになった。これは、長時や時頼の暗殺とか、日蓮や時広の没年その他の捏造は取るに足らないくらいの罪深さなんではないかと思う。

 

描かれなかった鎌倉幕府の本質

時輔「鎌倉に幕府ができて九十年、何があった?内なる戦と陰謀が繰り返されただけではないか。肉親が殺し合い、実の兄弟が憎しみおうただけだはないか」「幕府など潰れても良いではないか時宗

…時輔がそう思うのも仕方ない。だってドラマの中の鎌倉幕府の描かれ方がそうなんだもの。

時頼のやったことにしても、引付設置などは一切描かれず、時輔虐待と時宗家督を継がせることに手一杯で他は内戦と陰謀潰しばっかりだった。御家人たちも、隙あらば、元々は同じ御家人である北条得宗家にとって代わり天下を取ろうと野心をむき出しにする集団としか描かれていなかった。(九州御家人は別。所領に一喜一憂する御家人本来の姿を見せてくれて本当に良かった)。

鎌倉幕府がそれだけの組織というのはあまりにも表層的だと思う。せめて幕府が拠って立つ足元を少しは描くべきだったのではないか。

それは何かと言うと、幕府が御家人の所領支配を保証し(所務沙汰などの裁判含む)、御家人は他から脅かされることなく自分の所領を経営し生活の糧を得る。その見返りに幕府から課せられた役を果たす。鎌倉幕府の根幹である、このシステムが描かれずして鎌倉幕府を描いたことにはならないと思うのだ。時輔だって、自分が生活して妻子を養えるのも、この幕府のシステムあってこそとわかってたらこんな暴言は吐けなかったはずだ。時宗だってそのシステムを守る立場だと分かってれば、幕府も御家人もない世の中などという短絡的な発言はできなかったはずだ。

そしてそのシステムを先人がどれほどの苦労をして作り上げたか。それに少しでも触れていれば、時輔のろくなことなかった発言はありえなかったし、時頼が最後に残した言葉「鎌倉は武士の作りし夢の都じゃ…」は心を打つものになっていたはずだった。しかし残念ながら、こんな殺し合いと陰謀だけの鎌倉のどこが夢の都なのか分からず、全く心に響かなかった。

もう古い政にしがみつく幕府や御家人の世はいらないという兄弟がたどり着く結論ありきで、わざと悪い面ばかり描いたのか?と勘繰らざるを得ない。

そして鎌倉時代になって初めて生まれたと言われるもう一つのものが「撫民」という施政者の思想だが、その体現者と言われる時頼でさえドラマの中ではそれに心を砕く場面がみられなかった(あっても震災救援くらいか)。それすら描かないのに急に時宗や時輔が「民の世」と標榜しても、絵空事にしか聞こえなかった。

 

誰にも引き継がれなかった「新しき国」

時輔と時宗のたどり着いた「新しき国」はまるで実体を伴わない、あまりにも空虚なものだった。

なぜって、その「新しき国」が時宗の死後に全く引き継がれなかったから。

申し訳程度に、時宗が兄弟の絆の象徴である貞時と時利に「二人で力を合わせて身分も生まれも乗り越えた新しき国を作れ」と言っており、史実でもこの二人が共に手を携えて政にあたった、というなら感動的な流れなのだが、もともと時利などいない(厳密に言えば、時宗が引き取った時輔の子などいない)からそんな展開になりようがない。後を託した泰盛や頼綱にその「新しき国」にするための具体策など一切語ってないからどうにも実現しようがない(実際、歴史上の泰盛が行おうとした弘安徳政の構想は、すべての武士を御家人にするという真逆なものだった)結局「新しき国」は、ドラマ内でなんとか兄弟の葛藤に決着をつけるために無理やり捻り出した概念でしかなかったから、史実と繋がるわけもなく宙ぶらりんで終わらざるを得なかったのだ。

なんなら、必要以上に登場させて「太平記」とリンクさせようとした足利の誰か(もう足利高氏元服するまで生きてた設定の高師氏でもいいわ)にその「新しき国」という考えを引き継がせる形にすれば、まだ宙ぶらりん感は防げたんじゃあるまいか。時宗の遺志を継いだのが足利とか、北条ヲタとしてはちょっとした悪夢だけど笑

 

時輔という半オリキャラについて

蒙古襲来という外圧と絡めなきゃいけないにしても、後半はオリキャラとして自由に行動させられるからと言って、時宗と対比させるために時輔にワールドワイドな視点とか民主主義的な考えとか、鎌倉時代には考えにくい思想を持たせたのがそもそもの間違いだったのではと思う。しかも主役がその思想に感化されてしまうというね。そのせいで放送当時はトンデモ大河とかファンタジー大河だとか散々にこき下ろされてしまった。

時輔は一人の民として生きるというのなら、生き延びたとしてもどこかの荘園にでも流れ着いて下司荘官になってその土地の民と米作って畑を耕すような地に足のついた生活してりゃ良かったのだ。そんなふうにひっそり暮らしていても蒙古襲来による社会変動の波は押し寄せてくる。高麗出兵や蒙古合戦に動員されたり、御家人にしてもらえるかもと聞いて複雑な思いになったり、本所のムチャ振りに抵抗してたら悪党よばわりされて幕府に訴えられたりするといった時輔の草の根の視点と、日本の指導者として蒙古と対峙し、社会問題に対して法令発布したり所領裁判に当たったりする時宗の政治家視点を対立軸に兄弟の対立と葛藤を描いても良かったんじゃないか。最終回は時宗と引付に招集された時輔の再会…うん、やっぱりつまらないわね笑

 

まとめと雑感

今回の完全版DVD発売のおかげで、ネット上で初めて視聴したという方の感想等を見ることができているが、おおむね好評のようで驚いている。本放送時は、自分の体感では批判の方がはるかに多かったからだ。自分もリアタイ時は結構否定派で、おもしろキャラとしての頼綱観察と、貞時をどこまで出してくれるかだけが気になって文句を言いながら最後まで見ていた。しかし今回再視聴してじっくり向き合うことで、テーマもブレず、登場人物の情念や欲がぶつかり合い、主人公時宗が悩み苦しんで成長を遂げる人間ドラマとしては大変よく出来ていたということを初めて認識した。でもこの大河の世界にどっぷりハマれるかそうでないかは、この兄弟にどのくらい思い入れを持てるか、特に時輔の言動を受け入れられるか否かとイコールな気がする。この作品ほど(史実は)考えるな、感じろ、という姿勢で見ないと楽しめない大河ドラマはないかもしれない。

昨年度鎌倉殿が放送されたので、20年スパンの法則から考えると次回の鎌倉北条氏大河は2042年あたりだろうか。中でもマイナーな鎌倉中期の大河ドラマなど今後作られることがあるのだろうか。「北条時宗」が最後かもしれない。そう思うと、蒙古襲来の戦シーンをガッツリ撮影してくれてありがとう、中期のマイナー北条一族に有名な俳優さんをキャスティングしてくれてありがとう、特に北村一輝を頼綱にキャスティングしてくれてありがとう、と感謝する反面、鎌倉幕府というものをこんな陰謀と殺し合いばかりのブラック幕府ではなく、この時代に統治機関としてどんな役割を果たしていたかということをちゃんと描いて欲しかったな…とも思ってしまうのである。