ツイッターXからの転載(その1)
鎌倉時代の年号がポンポン代わりすぎて覚えられないジレンマ
泰時執政期なんか足掛け二年実質一年足らずとか普通で、吾妻鏡読んでると、京からお知らせが来てえっまた元号代わったんすか?となる
逆に室町時代になると十年単位とかざらなので(応永は昭和、明治の次に続いて長く続いた年号だそうで)、鎌倉時代はそれだけ天変地異が多かったということなのか
しかも京からの使者が来るの10日はかかるから、京都では天福だけど鎌倉はまだ貞永といったタイムラグが発生するんですよね。アリバイ崩しに使えそう(?)
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雑探偵泰時
泰時「天福元年4月17日、君はどこにいましたか?」
容疑者「えっ、鎌倉にいましたけど」
泰時「改元の詔書が鎌倉に届いたのは4月23日だから鎌倉では17日はまだ貞永!17日が天福なのを知っているとは君は京都にいたに違いない!よって犯人は君だ!!」
容疑者「なんでだよ!!」
時房「タロちゃんちょっとそれは雑すぎるよ」
ツイッターXからの転載(その2)
・伊賀兄弟が心変わりしないぜ!と誓い合ったというのを聞いた泰時「心変わりしないって約束するなんて感心だね(ニッコリ)」(元仁元年7月5日)
・御所周辺の騒動を聞きつけ武装して集まった御家人たちを不問に付すと言いつつブラックリストにのせる泰時(寛喜2年3月1日)
時房「タロちゃん意外に黒いところあるよね」
ツイッターXからの転載(その3)
吾妻鏡安貞二年六月二十五日条
泰時「明日頼経ちゃまがお出かけなんだけど雨とか降らないかなあ?」
晴賢、泰貞、国継「降らないです」
親職、晴職「雨降ります」
文元「晩に小雨降るぐらいですかね」
泰時「(結局どっちなの)」
この条に限らず陰陽師軍団いつも答えがバラバラなの何とかならんのか